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Dr.まさこの医療春秋

魔女の呪文亡き父に学ぶ医の原点理想の看護婦像を求めて(1)理想の看護婦像を求めて(2)食事と健康
Ageing with pleasure健康保険制度と高齢化社会育てる 育てられる美と健康強い女 弱い女
魔女の呪文
 誰にでも思い出がある。楽しい思い出、悲しかったこと、つらかったこと、うれしかったこと、そのさまざまな頁の中に自分がいる。私は小さい時から思い出を大事にしたい子供だった。東京女子医科大学に入学するために上京するまで、山口県下関市の小さな子供部屋には、小学校1年生から高校3年生までの成績表を含め、私自身の歴史が分かるような、私にしか価値のない細々としたものが、雑然としまわれていた。自分の子供には、自分の思い出もプレゼントしたいと思っていたのである。
 ところが、弟が結婚した時、荷物の大移動があり、他人から見たら何の価値もない、私の“思い出という名のがらくた”は、すべて行方不明になってしまっていた。「何故私の部屋の荷物を捨てたの?」と母に詰め寄ったものの、母も、「荷物の大移動で興奮していて何も覚えていない」とすまなさそうに言うだけだった。その頃、すでに結婚していて、東京の狭い狭いマンションに入りきれない独身時代の思い出の品々もすべて、実家の狭い部屋にしまい込んでいた私は、30歳までの自分がいなくなってしまったようで、しばらく落ち込んでしまった。“女、三界に家なし”という言葉も頭に浮かんできて、「もう、この家は私の家ではないんだ」と妙に悲しかったのを覚えている。
 ある人は、「思い出というのは、その人の記憶の中にあるから、そんな古い『がらくた』なんか失ったって関係ないんじゃないの?」と言うかもしれない。これがどっこい、大間違いだと私は思っている。魔法使いが、魔法を使う時に呪文がいるように、魔女が、人魚姫を人間に変える時、いくつかの特別な品々が必要だったように、思い出を鮮明によみがえらせるために、がらくたにしか見えないものが呪文の役割をする。
 そして、思い出のある人ほど、人生の苦労に立ち向かっていけるように思える。思い出と言うのは、つらい悲しい思い出も大部分が昇華され、懐かしく思い出されるものだが、時にそれが上手に昇華できていないと、大人になってからのストレスに上手に対応できないことがあったり、人間関係がうまくいかなかったりする。
 特に、自我ができあがる前の子供時代の思い出は大事である。それは、子供の自我(性格の形成)に大きく影響するからである。特に親との関係は重要視されている。ストレスの状態をチェックするのに、自我の状態分析(エゴグラム)は、とても重要になってきている。
 エゴグラムについては、また別の機会に書くとして、とりあえず子供時代に、つらい思い出ばかりで昇華できていない人、あるいは潜在的に親に対するマイナス感情がある人は、今からでも遅くはない。ちょうど今は1月、1年の始まりである。今年の目標は思い出作りにしてみたらどうだろう。思い出作りと言っても「マディソン群の橋」(ロバート・ジェームズ・ウォラー著)のフランチェスカとロバートの4日間の恋のように強烈なものでなくても良い。
 日常生活の中の、やさしい思いやりの関係は、年をとればととるほど、あるいは、つらいことがあった時、悲しいことがあった時に、思い出としてよみがえり、一服の痛み止めとして効いてくるはずである。自分の中に特効薬を持っていれば、多少の困難辛苦にも耐えられると言うものである。
 つらい思い出が昇華する時にも、そこには必ずやさしい思いやりの関係が働いている。“マディソン群の橋”がミリオンセラーになったのは、誰もが持っている“思い出”がテーマだったからではないだろうか?
1995年2月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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亡き父に学ぶ医の原点
 いま医学部には女性の割合が増え、4割近くが女性だということである。しかし、私の高校生時代は、地方に住んでいたせいもあり「医学部に進みたい」と言うと、担任の先生は「医学部なんかに行くと一生結婚できない」と、ずいぶん心配してくれて、家政科を勧めてくれたものである。
 人間の心の動きほど不思議なものはない。人間の表の顔と裏の顔、言動と心の中の遠い、これらのことに気付き悩んだ高校3年間でもあった。
 小学校の頃、客間の隣の部屋で、風邪のためうつらうつら寝ていると、2人の男が、父に頼み事をしにやってきた。どうやら、道路拡張のために土地をくれと言っているらしい(しかも無料で。)
 途中急患が来て、父は席をはずした。その間2人の男は、私が隣にいることも知らずに、父をどう攻略するか相談しはじめたのである。
 「ここの先生は、町内のためとか、皆のためと言うと何でもしてくれる。道路の反対側の土地を持っている人たちに、土地を提供してもらうのは困難そうだから、ここで頭を下げて何とかしてもらおう。頭を何度下げてもただだから」などと言っている。やがて父が急患を見終えて戻ってくると、2人は大きなゴマをすりながら、おべんちゃら(=お世辞)を言っている。
 隣で聞いていて私はハラハラした。隣の部屋に私がいることを知られてはまずいと子供心に思い、じっと身を硬くしながら心の中で、「お父さん騙されるな!」と叫んでいたが、父はあっさり承諾してしまったのである。子供の私は、父が2人の男のおべんちゃらに惑わされたのだと思っていた。
 その他にも、いろいろな面で父の人の良さを利用している人たちが目につき「お父さんは、いつも損をしている。私は心理学を勉強して、悪い人を見抜けるようになりたい」と悔しい思いをしていた。
 高校3年になり進路を決める時に、このことを思い出し、心理学の勉強をしたいと言ったところ、父はこういった。「人間は肉体だけでもなければ、心だけでもない。心と体は密接な関係があり、これからの医者は、このことが分かることが必要だ。」この言葉で私は医学を志したのである。
 父の生き方は常に私を刺激し続けたが、本当の意味で父を理解できたのは、長い闘病生活の後死亡し、通夜の席に集まってくれた人達から、私の知らない父の生き様を聞いた時だった。
 父は軍医として中国に行っていた。戦後の混乱の中、陸軍第一病院の傷病人と医療スタッフは最前線に取り残され、統率者として傷病人と医療スタッフを守りながらの撤退は、想像を絶する苦労だったらしい。
 ソ連兵から婦女子を守るために男装させたり、敗戦のなかあれる人心を統率する苦労、医療品不足の中での治療、劣悪な条件の中で、自分自身も病に倒れ42℃の高熱を出し、うわ言の中でも部下や傷病人を心配していたこと、遺言の預け、単身、同胞の帰還交渉に赴いた父、その他いろいろなことを通夜の晩に一度に聞いたのである。
 父は生前、一度もこれらの苦労話をしたことがなかった。いつも穏やかで、皆の意見を良く聞き、正しいと思ったことは必ず実行に移す人だった。
 父の行動力と決断力、公正さと公平さ、それを知った時、父は人に騙されきたのではなく、信念を持って行動してきたのだと納得したのだった。
 私はいま、医薬品も医療器械も十分恵まれたなかで医療をしている。けれど父と同じレベルの医療ができているだろうか?と考えることが多い。
 凡人の私は、父を越える医者にはなれないだろう。だけど父の人間としての、そして医者としての生き様は忘れずに医療を続けたい。
 最後に、父の隊が撤退していく途中で、お互いの胸にナイフを刺し、自決している婦女子の一団がいた。相手の力が弱く、死にきれずに苦しんでいる女性を手術し、従軍看護婦だった彼女は死の淵からよみがえった。やがて2人は結婚し、私と弟を生んだ。母の胸には傷がある。何だかこれだけでもドラマになりそうである。
 いつの日にか、父の生き様を記録に残したいと思いつつ月日が流れていく。
1995年3月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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理想の看護婦像を求めて(1)
 新学期、新入生、新入社員、いろいろなところで新しい息吹が始まった。
 当院にも新しいスタッフと看護学生が入ってくる。特に看護学生は学生として、週のうちの何日間かを過ごし、残り何日かを医療現場のスタッフとして過ごすために、二つの世界を上手に行き来することが必要となる。
 例年、看護婦の職業をマスコミが3Kだ、5Kだとクローズアップして取り上げるため、地方の医師会が経営する昼間の定時制の看護学校では志願者が少なく、学校の先生は、各高校へ学生確保のため“お願い廻り”を強力にしなければならない状態であった。
 ところが今年は、バブルがはじけた影響で、一般の会社の採用人数が減ったためか、あるいは手に技術をもつ必要性を感じたのか、例年になく志願者が多く、その上、一次合格者の大半は今までは、県外の全日制の看護学校へ流出していたが、それも今年は少なく、関係者を喜ばしている。
 徳山看護学校では、準看護婦養成課程と正看護婦養成課程を持っていて、私は正看護婦養成課程で循環器科学を担当しているが、地方の医師会立の看護学校は年々各関係者の努力で良くなってきているものの、まだ検討しなければならない点が多数ある。
 その一つはやはり、学生の質の問題である。看護学校で教える時、理想の看護婦像を常に頭の中に置きながら授業をしている私にとって、これは大きな問題である。
 私は母校の東京女子医科大学附属心臓血圧研究所で働いていた頃、多くの優秀な看護婦さん達と仕事をしてきた。そのころは彼女ら(河村さん、成田さん、後藤さん、鈴木さん、今野さん、その他の皆さん、、お元気ですか)のレベルが看護婦のレベルの標準と思っていた。
 けれど、父が田舎の病院に入院したとき、皆一生懸命やっては下さっているのだけれど、看護婦としてのレベルが、かなり低い人達が混じっていることにショックを受けた。
 ある晩、重症の父のベットサイドに看護のため私が泊まり込んだ日の出来事である。かなり症状の重かった父には心電図モニターがつけられ、意識もはっきりしない。その父のモニターに重症不整脈が出現し続いたのである。
 私はすぐ夜勤の看護婦を捜し出し、そのことを伝えたが、その看護婦の返答に唖然としてしまった。「患者さんが苦しいと自分から言ってこないのに、いちいちそんな事で言いに来ないでほしい」と言ったのである。心電図を多少でも読める人なら分かるであろうが、重症だからといって、必ずしも患者本人が苦しいと言わない事も多いのである。
 もちろんこんなにひどいレベルの看護婦ばかりではない。しかしながら交替で勤務にあたる以上、モニターがついている病棟にはモニターが判読できるナースが配属されるべきであるが、3K、5Kと言われ、どこも看護婦不足に悩まされていた時代では、準看護婦でも正看護婦でも、資格さえ持っていれば正直言って、どんなレベルでも良いから来てほしいというのも本音だったのである。
 準看護婦については、いろいろ意見があり、将来は正看護婦だけにしたいという意見も出ているとも聞くが、これも看護婦の質の向上を目標にしているからだと思う。“看護婦の全体的な質を高めること”。これこそが3Kだ、5Kだと言われている彼女らの社会的地位を高めることになるのだと私は信じている。
 社会的地位が高まれば、必然的にナースとしての誇りと使命感を持ち、かつ優秀な人材が看護学校へ殺到するであろう。いざ、自分が病に伏せった時、誰もがプロ意識を持った優秀で人間的にも安心できるナースに接したいと感じるはずである。
 看護学校の先生方には命を預けるプロを育てているのだという意識に立って指導してほしいものである。そして肝心なことは正看護婦という名前を与えたからといって、そのナースが優秀になるのではなく、指導の場に立つ各先生が正看護婦として必要な最低レベルをきちんと認識し、そのレベルに達した人達に正看護婦としての資格を与えることである。正看護婦として必要なレベルとは何か。引き続き次回もそのことについて考えてみたい。
1995年5月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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理想の看護婦像を求めて(2)
 前回は、看護婦の質の問題について、若干私見を述べさせていただいた。今月は、私なりの“理想の看護婦像はどういうものか?”記してみたい。
 私は基本的に、当院に所属しながら看護学校へ通う、新入スタッフには、基本的に次のことを守れる看護婦に育つよう、教育内容、スケジュールを考え指導しているつもりである。
1.来院された患者さんのその日の来院目的をよく理解し、それに沿った看護をする。決して、機械的にながす診療看護をしてはいけない。
2.院内で入手した、患者さんの個人データを外部に絶対に漏らしてはいけない。
 理想の看護婦像は、各人それぞれの思いがあるだろうが、私は少なくともこの二つを守れる、あるいは守ろうとする姿勢を持った看護婦は信頼できると考えている。
 しかし、たったこの二つの基本項目であるが、いまこの二つのことが実際に守れている看護婦が、日本全国にどれくらいいるかといわれると「う〜ん」と考えざるをえない。
 まず一つ目の『患者さんの来院目的を知り、それにあった看護をする』は具体的にどういうことであるかというと、初診の患者であれば、まず十分な問診をとること、特に循環器では、問診の出来、不出来によって診断が左右されるほど大切なことなのである。問診が上手に取れる看護婦は、コミュニケーションも上手である。
 当院では、新人は1年目の終わりか2年目の初め頃より、問診をとらせるようにしているが、日頃、先輩の問診をみていても、いざ自分でしてみると四苦八苦している。
 私はその場で問診内容をチェックし、足りない部分は再度聞きに行かせるか、あるいは担当看護婦を側におき、問診のやり取りを側で筆記させ、後でリーダー看護婦の指導のもと、もう一度きちんとした問診を提出させるようにしている。これを繰り返すことにより、短時間に患者さんの来院目的を知ることができるようになるのである。
 再診の患者さんもしかりである。再診の患者さんのカルテをまず読み、何の病気で通院しているかを知ることは、これはものすごく大事なことである。にもかかわらず、入院していればともかく、外来レベルで最近の病態を知って応対するというのはとても難しい。
 その理由の第一は、日本のいまの医療制度にあり、一人一人に30分も1時間も時間をかけていると、その病・医院そのものが経営困難になってしまうからである。では、できるだけ多くの患者さんが、ドクターの診察を受け、なおかつ現在の医療体制のなかで、何が患者さんの望みかを知り、(よく説明してほしい、よく診てほしいなど)かなえようとする時、看護婦の役割はさらに重要になる。
 再診の患者さんは、いろいろなパターンがある。すでに症状が安定していて、経過を診ていくだけの人、前回検査をしてその結果を説明する必要がある人、あるいは調子が悪くなって来院した人など、同じ再診でも、その診療内容はさまざまである。
 いま5分間診療、3分診察と避難されながらも、根本的にいまの医療体制が変わらない限りは、診療時間を延ばすことはできないかも知れないが、その5分間の質を濃くしていくことは、いまの状態でもできるのではないかと思う。
 一見、同じような診察にみえても、患者さんのその日の来院目的、ここ最近の状態、あるいは各人の性格などを知って患者さんと向かい合っているか、何も考えずに流れ作業的に対応するかは全く違う。患者さんの体の変化の予兆を早くつかめるのはどちらか、明白である。
 しかし残念ながら、これは心構えの問題で、何事もなければなかなか回りに気づいてもらえないことが多い。気づいてもらえなくても、看護婦として、医療人として忙しいなかでも、努力していきたいものである。
 二つ目の守秘義務、これは各人によって知られたくない範囲や部分が違う。このことをきちんと守ってあげて、初めて正確な問診がとれるのである。
 医者だけが守秘義務を守っても、ざるに水である。病・医院のスタッフ全員に、その重要性をしっかり理解してもらえば、患者さんは安心して何でも話すことができる。病気というのは、体だけの問題だけでなく、その憎悪、軽快に精神的なものも大きく関与することがあるのである。
 その他にも、看護婦に要求されるものは、いろいろとあるだろうが、私はこの二つができる看護婦は、技術も自然に向上するし、人間としても成長していけるのではないかと思っている。そして、よりすばらしい看護婦になってほしいと思っている。
1995年6月11日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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食事と健康
 高脂血症、高血圧、糖尿病、肝臓病、アレルギー疾患など食事に注意しなければならない病気は多い。また、これらの病気を持つ人たちの人口比率も、高齢化社会になるにつれて非常に増えてきている。
 カロリー制限や塩分制限は、病気の治療に役立つだけではなく、病気の予防にも重大な役割を持っている。にもかかわらず、毎日の食事がどうしても、おざなりになっているのが現状である。
 循環器科である当院では、以前から、高血圧、高脂血症、糖尿病に対して積極的に食事指導を続けてきたが、なかなかそれを守るのが難しい。あるいは言葉で説明されてもよく理解できないとの患者さんの声が届き、どのように説明すれば、自分の体によい食事をイメージしていただけるのかと試行錯誤の状態であった。
 以前からときどき行っていた健康教室で、病気と食事の関係についての講義とその後、昼食を実際に食べていただく企画を開始したところ「実際の味付けがよく判り、ボリュームとカロリーの関係が舌で覚えられて良い。」と好評があった。
 健康教室は、患者さんの病気に関する情報の場であるだけでなく、当院のスタッフの日頃の勉強の成果を発表する場でもある。月1回の発表に向けて当院の看護婦は、大変だ大変だと言いながら、一生懸命発表の練習をしている。
 2週間前に栄養士さんからメニューと成分表が届くとそれをワープロに打ち、当日の発表原稿を私にチェックしてもらいながら仕上げ、一週間前には実際にリハーサルを行う。前日までには、患者さん達にお配りする手作りのパンフレットを作り終え、部屋の準備をし、当日には楽しく食事をしていただけるようにと花を飾り、3階の負荷検査と運動療法の部屋が、ミニレストランと講義の場に生まれ変わる。
 当日は、午前11時から看護婦が、前回の健康教室の復習をし、次に今回のテーマについて話をする。その後、私が補足説明をするようにしている。12時直前にはスタッフ総出で出来上がったばかりの食事を弁当箱に入れ、1階より3階まで運んでくる。そして食べながら、栄養士さんから栄養学的な説明を聞き、最後に料理を実際に作った人からも、料理のコツ、あるいは料理を作るにあたっての手抜きの方法などを話してもらうようにしている。これで約2時間のコースである。
 食事療法を守れない理由をアンケートにとってみると、「どうしたら良いのかわからない。」とか、あるいは高齢化と共に一人暮らしの方々も増え「1人分の材料をスーパーマーケットで買うのが難しく、毎日同じメニューになってしまう。」あるいは「1人分だけ作るのは大変で面倒くさい。」などの意見が多かった。いかに手を抜いて美味しく食べられるかは、重要な課題と思う。短時間で少量作っても美味しくできる料理の方法というのは、これからの高齢者に喜ばれることと思う。また、今後は高齢者向けに食材の宅配でなく、食事の宅配も積極的に考えていかなければならない。
 山口県東和町は、日本で一番、高齢者の多い町である。65歳以上の方が町民の43%にものぼると聞いている。一人暮らしのご老人も多くその大半は女性である。この町ではこの状態を踏まえ、以前から在宅福祉対策の設備充実に取り組んできている。また自助互助の精神を基調にしているとの事で、例えば、食事の宅配も行っているが、食事は栄養士さんの指導のもと、民間に依頼し、そのお弁当は何カ所かの町内の起点に届けられ、そこから各家へボランティアが届けているとの事である。そのボランティアの中には83歳の方も含まれている。あるいは毎朝4時に起きて、新聞配達をされている方が78歳の女性であったりと、見事に自助互助の精神が根付いているのである。
 これからの日本は確実に高齢化社会に急速なスピードで突入することは明らかであるが、自助互助の精神と共に、若い時から病気の予防に気をつけたいものである。いま、死亡原因の上位3つまでの中に、心疾患、脳血管障害が含まれているが、これらの疾患の大部分は動脈硬化が関与している。年を重ねていくこと、これは避けられない。けれど自助互助の精神をまっとうできる精神的および肉体的な若々しさを持ち続けたいものである。
 それにはどうしたら良いか?毎日の食事に気をつけること。それも「食事療法をしなければ」という苦しみの中でするのではなく、自分の体に良い食事を楽しみながら続けることができないだろうか?いま、食事の健康教室を始めて間がないが、楽しく食事療法を続けるということも今後の課題にしていきたい。
 その試みとして、カロリーが高いけれど、たまには食べてみたいと思っているフランス料理のコースを、低カロリー、低塩分で安心して味わっていただきたいとの思いから、広島のフランス料理店の協力のもと、800カロリー以下、塩分4gのコース料理を味わってもらうことにした。7月15日に広島のそのレストランで“夏バテ予防の低カロリーフランス料理”を、ビタミンやミネラルの話と共に希望者に味わっていただく予定である。
 参加者に喜んでいただけるようであれば、時にはこういう楽しみの企画も今後は入れていきたいと思っている。
 “病気があっても楽しく元気で生きよう!”
 これが当院が送り続けているメッセージである。
1995年年7月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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Ageing with pleasure
 財団法人フランスベッド・メディカルホームケア研究・助成財団では、在宅ケア推進の一環として、事業助成・研究助成を行っている。私も勧められて、研究助成金申込書を書いてみた。研究テーマは「老いてなお楽しく生きる。…継続可能な食事療法の研究と老後の生きがい作り」という和文タイトルであるが、英文のタイトルも必要ということで、自分の作った英文を、アメリカ人の友人にチェックしてもらったところ、とてもすばらしいフレーズを提供してくれたので感動してしまった。
 「老いてなお楽しく生きる」という言葉には年を取るのは嫌だけど、それでも楽しく生きていく方法を見つけていこう」というニュアンスがある。しかし、彼女が提供してくれた英文のフレーズ“Ageing with pleasure”は、直訳すれば「楽しみと共に年を取る」あるいは「楽しみながら年を取る」という意味であり、何と前向きで、プラス思考のフレーズなのかと感心してしまう。
 「老いてゆくこと」。これは誰一人避けることのできない宿命である。どうせ避けられないならば、嫌々年老いていくよりは、毎日毎日、小さな楽しみを見つけながら月日を重ねていきたいと思う。
 何の心配もなく生きていける人はまずいないと思うし、どの家庭も何か問題を抱えている。毎日、不平不満を言う人よりも、いつも楽しそうに、ニコニコしている人の方が、短期間に髪が真っ白になるほどのストレスを受けていたり、他人に言えない家庭内のトラブルで傷ついていたりもする。天真爛漫な赤ちゃんの笑顔は、見る人々の心を和ませるが、苦労を乗り越えた結果手に入れた皺のなかの笑顔には、深い味わいと人を引きつける魅力を持つ。
 医療の現場は人生の縮図でもある。いろいろな人生、いろいろな家庭があるが、まず自分が努力さえすれば、確実に変化が見えそうなところ、あるいは手に入りそうなところから始めたい。
 人間はそれぞれ価値観も感受性も違う。それ故に、幸せと思う基準も千差万別である。自分とまったく価値観、人生観が違う人たちに、自分を理解してもらえないこともある。自分を認めてくれない人たちに囲まれると、誰もが持っている良いところが、どんどん少なくなっていき、自分を理解し素敵だと思ってくれる人たちすら、離れていってしまう。
 それよりもまず、自分を理解してくれる人たちを大事にしよう。人間は認めてくれる人が増えれば増えるほど自信もつき、良いところも伸びてくる。そうやって、一層素敵になった自分すらを認めてくれない人たちは、自分とは違う世界の人だったのだと割り切って、こちらから切り捨ててもいいんだと思えた時、初めて、心が自由になれ、自分らしく、生き生きといきていける。
 高齢になること、老いること、張りのあった皮膚はたるみ、老人斑が出る。耳、眼、全身の老化が進み、動作が緩慢になり、あちらこちら痛んだり、病気が出てくる。そのどれが一番悲しくて辛いことなのだろうか?
 どれも嫌なことに違いない。でも一番悲しいのは、自分を理解してくれる人が減っていくことなのではないだろうか?
 若く美しくなくても、病気であっても、耳が遠くて何度聞き返そうとも、自分を理解し、愛してくれる家族や友人が周りにいれば、年を取ることを恐れる必要もない。嫁、姑、夫、舅、友人などの悪口を言う暇とエネルギーがあったら、その間にせっせ、せっせと、自分を理解してくれる人を増やすためにサークルや地区の活動に参加した方が賢明である。
 さらには、“〜すべき”“〜であるべき”という「一般的常識」に振り回されていないか、もう一度振返ってみてほしい。常識は必ずしも正しいとは言えず、時代と共に変化する。“〜すべき”に振り回され過ぎず、小さなことにも喜びを発見できる。これこそがAgeing with pleasureの第一歩である。
1995年8月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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健康保険制度と高齢化社会
 日本では他国に比べ、健康保険制度が充実していて、誰もが最高の医療を健康保険で受けることができる。しかし、高齢化に伴い、医療費の増加が進み、健康保険の財源そのものが、圧迫されてきている。現在、社会保険は、本人が1割、社会保険の家族と国民保険は3割の自己負担金であり、老人保険は、外来診療は1ヶ月に1,010円の自己負担で、診療治療を受けることができる。
 平成7年8月8日の朝日新聞によると、健康保険組合の財政が急に悪化、1993年度の赤字組合は36%だったが、1994年度決算では約半数に昇り、1995年度は、約8割が赤字予算を組んでいるとのことで、その主たる原因は老人医療費を分担する拠出金が急速に増えたためである。
 8月4日には医療保険審議会は、医療保険における「給付と負担の公平」「医療費の規模およびその財源のあり方」「医療保険制度の枠組みおよび保険者運営のあり方」についての中間とりまとめを行い、国民医療費、とりわけ老人医療費の適正化が不可欠との判断の下に保険料の引き上げ、国や地方公共団体負担の引き上げ、給付範囲の見直し、患者負担増などの総合的検討が必要との基本的な考え方を示している。簡単に言うとどういうことかというと、このままでは、医療を受けるのに、自分達が支払う医療費割合も増え、国や保険組合が支払う健康保険料金も値上げになりますよ、ということである。
 高齢化社会になれば、病人の比率が増えるのは致し方ないことである。中年期を過ぎると、程度の差こそあれ、誰もが病気の予備群か、一つや二つの病気を持っているはずである。医療費の上昇を防ぐには、予防医学が大切だが、すぐに医療費低下の効果はでてこない。いま、私達が医療費上昇を少しでも防ぐために協力できることはないだろうか?患者さん自身のためにもなり、医療費の上昇予防に協力できることが一つありそうである。皆さんは、思い当たることがないだろうか?
 高齢になればなる程、複数の病気がでてきて内科、外科、眼科、耳鼻科など、複数の医療機関で治療を受けていることが多い。医療機関を受診するときには、必ず現在服用している薬を提示する方がよい。以外と多い薬の重複投与を防止するためである。薬は上手に使えば、薬としてその効能を十分に発揮できるが、知らずに常用量を超えて服用すれば、薬害のでる確率も高くなり、余分に飲んだ薬の分だけ、医療費は上がってくる。
 また、結構多いのが、調子が良くなってくると、医師に内緒で、薬の量を勝手に調節して服用する人達である。当院を受診されている皆さんには、機会があるたびに話すことであるが、これも患者さんにとっては大変損なことである。なぜなら、医師の方は、現在服用している薬の量で病気がコントロールされている信じているので、勝手に薬を減らして服用していて、再度病気が悪化した時は、さらに薬が追加され、きちんと最初の薬を服用していれば必要なかったかもしれない新しい薬を服用することになる。
 病気が悪化しなければ、余った薬は捨てられ、必要のない薬のために医療費は上昇する。薬をきちんと忘れず服用することは難しい。特に昼の薬は飲み忘れが多いようである。しかし、たまに飲み忘れるのと、1日3回服用する薬を、1日1回しか服用しないのは大きな違いである。自覚症状と病気の重症度は必ずしも一致せず、いつの間にか病気は進行し、気づいたときには、いままでの何倍もの薬が必要ということもある。
 ほとんどの医師は、なるべく少量の薬で治療できないものかと考えているはずである。調子が良くとも引き続き再発作予防のために薬が必要なのか、調子がよければ薬を減らせるのか、自分を診てくれている医師に判断してもらうのが一番安心だし、不必要な処方で捨てる薬も減る。捨てた薬の金額が一人当たり平均、年間に1,000円としたら、人口の1/6に当たる2,000万人が病院を受診したとしても、200億円のお金が浮くことになる。どうだろうか?
1995年9月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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育てる育てられる
 医者になって約20年、大学病院に勤務していた時と、開業してからの年数がちょうど半々になった。医者になって1年目にはじめて担当した患者さんの顔は今でも忘れない。いま循環器疾患の大部分は、狭心症、心筋梗塞などの虚血性心疾患が多くなってきたが、その頃はリウマチ熱が原因の弁膜症の患者さんも多く、いまのようにあちこちで心臓の手術ができない時代だったので、日本での心臓手術の創始者、故榊原仟教授の名声を慕って、多くの弁膜症の患者さんが、日本全国から入院されていた。私の初めての担当の患者さんも20代の若い弁膜症の患者さんで、2度目の手術のために入院して来られたのである。現在は人工弁も高性能となり、機能不全を起こすことは非常に少なくなってきているが、彼女の1回目の手術で入れた人工弁は初期のもので、調子が悪く再手術をしなければならないということになり、その頃、新しくできた人工弁に取り替えるための入院だった。
 大きな手術を前に、主治医となったのが1年目の医者で、いくら私の上に指導医が付いていたとはいえ、内心さぞ心細かったのではないかと思う。学生時代に講義であれこれと医学の知識を詰め込まれていても、採血も注射も何もできないのである。いくら同僚や看護婦さんの腕で練習してから、本番に臨んだとはいえ私の緊張しきった顔をみるだけで、彼女の方も、きっと緊張したのではないかと思う。けれど、私の同年代のその患者さんは、「先生、大丈夫だから思いきってやって」と、ニコニコと逆に私を励ましてくれていた。
 1年目というのは、どの職業でも仕事を覚えるので大変だが、私もやはり大変で、朝8時前から夜11時ころまで病院であたふたとしていた。一人の患者さんに慣れていくにしたがって、一人ずつ患者さんが増え、1年目の医師は3人の患者さんを担当するのであるが、そのたった3人の患者さんを診るのにクタクタの毎日、机上の学問だけでは、患者さんを診ることはできないと痛感したのも、この1年間であった。
 話しは変わるが、私は学生時代、4畳半のアパートに住んでいた。そのアパートは大家さんがとても良い人で気にいっていたのだが、卒業を前に、両親から風呂付きの遅く帰っても安心なところに引っ越すようにと言われて、当時の東京で8千円のアパートから、3万円の台所、風呂付きのマンションに引っ越していた。
 当時の私の生活費とあまり変わらないような高級マンションに入れてもらって、申し訳ないと思っていたが、風呂が付いていることはほんとにありがたかった。銭湯は夜11時頃までしか聞いていないからである。銭湯に行かなければならないから、と早く帰るようでは、1年目に吸収できるものは、きっと減っていただろう。風呂があっても疲れきってバタンキューと倒れるように寝た日に、夢の中に心電図が、ひらひらとたくさん飛んできて心電図の中に埋もれて目が覚めた日も、今となっては懐かしい。
 こんなに悪戦苦闘して、頼りない新人ドクターだったにもかかわらず、彼女が私に与えてくれた信頼の眼差しは、私に勇気と頑張る力を湧きおこした。数ヶ月後、配属変えで他の病棟に行く私に彼女は「立派なお医者さんになってね!」というメッセージとともにプレゼントを渡してくれた。
 それは私がいま使っている聴診器とは比べ物にならないほど、一目で安物とわかる聴診器、何回も入院して金銭的にも大変だったろう彼女のプレゼントは、とても重く時々出して眺めていたものの、もったいなくて使えなかった。
 開業して人を育てる立場になり、私の診療方針を飲み込んでくれるスタッフが育ちはじめた10年目、この宝物を私は看護婦に使わせる決心をした。看護婦は、この聴診器の重みに気付いてくれているのだろうか?。医療人は、患者さんとの触れ合いの中で成長し、育っていくのだと。
平成7年10月1日 Medical Academy News 医療春秋にて掲載
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美と健康
 健康とは、どういうことを言うのだろう。生化学的、血液学的、レントゲン学的、その他もろもろの検査データが正常域に入っていれば、その人は健康と言えるのだろうか。
 今回、下松市の依頼で、「美と健康は食事から−心と体と食事の関係」という面白いタイトルでの講演を引き受けることになった。何を健康と考えるか、何を美と考えるかで、話の内容は大きく違ってくる。
 心理学者のA・H・マズロー博士は人間の基本的欲求を、@食欲、A性欲、B群れる欲求、C攻撃、征服の欲求、D安全への欲求であると言っている。つまりこの5つの欲求は、本能行動であり、食べるという本能行動を私たちは生まれてから今まで、飽きることなく毎日続けてきている。
 不適切な食事がもたらす健康に及ぼす悪影響は、盛んに言われている。カロリーやコレステロールの摂り過ぎによる肥満や高脂血症、塩分の摂り過ぎによる高血圧に及ぼす影響など、過剰によって起こるものと、偏った食生活による栄養のバランスの欠如によって起きる病気、あるいは病気予備群の人たちが増えてきている。
 食事というのはこのように、健康と大きく結びついているにも関わらず、いままで医療分野のなかでは、それほど重要視されていなかった。その最大の理由は、医者や看護婦が時間をかけて食事の説明をしても収入増加につながらないこと、またいまの保険システムのなかでは、病気にならないための予防、病気を進展させないための予防の分野が認められていないが故に、予防医学のプロが育ちにくいからである。
 病院に入院された方なら、多少とも思い当たることがあるだろう。「病院の食事はまずい」というのは定説であった。それは職員の勤務時間の関係で、日常生活よりもかなり早い時間に夕食が出たり(昔は午後4時30分ごろに夕食が出てくる病院も珍しくはなかった)、冷えきった食事、プラスチックの容器等々、目に見えるところは、医療界が過当競争になった昨今、患者サービスの向上の一環として改善されてきている。
 しかし目に見えないソフト面はどうだろう?例えば低カロリー、低塩分食をとってみても、計算上は確かに医師の指示通りのカロリー、塩分であっても、食べた時の満腹感、美味しいと満足を与えるような工夫がなされているかというと、まだまだお粗末というのが実態ではないだろうか?これらの食事は病院のなかでは、治療食、制限食と言われ、病院内の普通食に比べるとまだまだ「まずい」のである。
 「薬と思って食べなければだめですよ」とは、よく聞く言葉である。確かに術後の回復期など、「ここを乗り越えれば大丈夫」という思いがある時は、薬と思って食事を食べて頑張れることもあるだろう。しかし高血圧、高脂血症、糖尿病などの慢性疾患の人たちのように、食事療法を一生続ける必要があるとしたら、あなたは薬と思って食事療法を続けることができるだろうか?
 ここでもう一度、マズロー博士の人間の5つの基本的欲求について思い出してほしい。この5つが本能行動と呼ばれる所以は、これらの行動が人間に快感を呼び起こすからにほかならない。その基本的欲求の食事を、義務にしてしまっては続くはずがないのである。
 さらにマズロー博士は続けている。人間の欲求は5段階に分かれ、低次元から高次元へと昇っていく。その5段階とは@生理的欲求、A安全の欲求、B所属と愛の欲求、C承認の欲求、D自己実現の欲求である。
 私の定義する健康とは何か?高齢化社会になり、人生の中盤を過ぎると何かしら異常を訴えない人はいない。しかし、検査データ的に多少の異常はあっても、この5段階のうち少なくとも3段階あるいは4段階までが満たされ、年齢相応のエネルギーがあり、病気と共存できれば「健康」であり、男も女も美しく見えると思う。
 当院にも、多くの中年男女の方が通院されているが、年齢よりも若々しく美しい人たちを診ると、これからも病気と共存して、「健康」になって、若々しく美しくなってほしいと思う。
1995年11月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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強い女 弱い女
 私が女医だからだろうか?循環器の専門外来でありながら、女性の患者さんが大勢来院されている。それらの胸がしめつけられる症状や動悸など、いかにも心臓に問題がありそうな訴えで来院される初診の患者さんのうち、心臓自体に機能的、器質的な異常がない人がかなりの割合で含まれている。
 このような方達は検査で心臓自体に異常がないことが分かると、ご自分の心配事や悩みが、現在の症状に関係あるのだろうか?と、現在のストレスを話していかれる方もある。ストレスを感じる程度は人それぞれで、お話を聞いて、「これだけの状況のなかで生活していれば、ストレスから体調を崩されてもしょうがない。いままでよく頑張ってきたね!」と思うこともあれば、先に先に不安の種を見付け自らストレスを作り続けていかれる方もある。
 人の性格はさまざまで、他人の一言一句、一挙一動が気になる人もいれば、相手のことをまったく考えずに行動する人もいる。相手の立場を考えすぎるあまり、がんじがらめになって、ストレス地獄に陥っている人、相手の立場をまったく考えずに、自分の思い通りにならないとストレスを感じる人、それぞれの性格、人格によって、ストレス症状の対処法は変わってくる。
 前向きに努力しながらも、いろいろな状況でストレス状態に陥っている人は、最後に「もう少し自分が強ければよいのですけど!」とか、「○○さんは、とても強くて羨ましい」とかポロッと口から洩らされることがある。どういう人が弱い女(ひと)で、どういう人が強い女(ひと)と言うのだろうか?女性からみた強い女と、男性からみた強い女は違うのだろうか?
 「あの人は強いね〜」という評価には2通りあるような気がする。1つは、いろいろな苦労やストレスは一杯あるけれど、前向きに物事をとらえ、健気に生きていて共感が持てると評価されている時、2つ目は、わがまま放題していて、目に余る物があるけれど、何か言うと後が恐いからと、悪い意味で一目も二目も置かれ、別格に考えられている人たちである。
 1つ目をAグループ、2つ目をBグループとし比較すると、Aグループの方が自分で何とか頑張ろうとする習性が強く、知らない間にストレスから体調を崩しやすいようである。けれども前向きで、努力家であるが故に、一方ではストレスを乗り越えて、自分なりの人生を作り上げていく人もいる。
 ところが、人生とは皮肉なもので、Aグループの女性が苦労に苦労を重ねて頑張っている時は、男性も女性も共感を持ってくれていても、その女性が苦労の末、何かしら自分の人生を手に入れ輝きはじめると、「あれだけ強ければ、したいことは何でもできるさ」と、Bグループの人と同じ扱いにしてしまう人たちの、何と多いことか!
 Aグループの女性は本来、相手の立場を思いやるあまりにストレスを感じながらも、その環境のなかで、自分のできる範囲で自分を輝かせているだけであって、他の環境にいれば、もっともっと素晴らしい人生を手に入れたであろうと思えるような人も大勢いる。私のもとにストレス症状で受診される人の多くは、家族から“弱い女性”であることを要求され続け、自分の意志や、自分の人生を持つことを否定されつつも、愛する家族のために、要求された役割を演じ続け、演じ続けることに無理が生じた人たちである。
 “彼らが求める弱い女性”とは、自分の意志を持たない人形のような女性である。彼女たちは、自分の意志を持たないが故に一人とり残されると、残りの人生を生きていくことが不安でしようがない。何も考えなくてもよい状態から、ある日突然、一人で何もかも判断しなければいけなくなるからである。
 自分が先に死んでしまえば、それなりに幸せな人生なのかもしれないが、男性よりも女性の方が寿命が長いため、どうしても一人残る確率が高いのは女性なのだから、そう簡単に物事は運ばない。Bグループの女性も、長い年月の間には、周りから友人が1人2人と去っていくかもしれない。
 残るAグループの女性が、人生80年の時代にふさわしいと思うのは私だけだろうか?相手の立場も考えられる女性でありたいし、自分を一人の意志を持った人間であると認めてくれる家族や仲間と、つらい時は助け合い、楽しみは分かち合って生きたいものである。
1995年12月1日 Medical Academy News 医療春秋 掲載
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